座布団の歴史
1.座布団のルーツ
座布団のルーツは、平安時代に貴族が使用していた茵(しとね)です。 茵(しとね)は、敷布団として使われていた上席(うわむしろ)を正方形にしたもので、寝る時に使うものを褥(しとね)、座る時に使うものを茵(しとね)と呼んでいました。 また、平安時代に書かれた辞典『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』では、之止禰(しとね)の名前で記されています。
「漢字は違うけれど読み方は同じ?」と不思議に思うかも知れませんが、昔は寝具と坐具の区別があまりなく、使い分けをしていなかったからだと言われています。 また、茵を覆っている布の色や質、模様などは、貴族の地位や階級によって決まっていたため、茵を使うことそのものが権力の象徴でもありました。
座布団の元となった茵(しとね)にも、さらにルーツがあります。日本最古の和歌集『万葉集』の中に出てくる、刈薦(かりこも)という敷物です。 今で言えばシーツのようなものでしょうか。 真薦(まこも)というイネ科の植物を乾燥させ、1枚の敷物に織りあげました。 この薦を何枚も重ねたものが畳となり、やがて中に綿の入った褥(しとね)や茵(しとね)へと、形を変えていきました。 平安時代に入ると、茵は動物の皮などでも作られるようになり、畳の縁によく似た額縁状の縁が周辺に付けられるようになりました。 大きさはだいたい三尺五寸四分(※およそ1メートル四方)。 今の座布団と比べると薄い敷物でしたが、その頃の畳はフワフワとやわらかいものだったので、茵が薄くても大丈夫だったようです。
茵の形状の図また、一人で使う茵だけでなく、数人で使用する長方形の床子茵(しょうじしとね)と呼ばれるものもありました。 床子は机のような形をした腰掛のことで、その上に床子茵を敷いて座っていたそうです。
2.茵から座布団へ
中世から江戸時代に入ると畳の技術も発達し、軟らかくて長持ちしなかった畳が、固く丈夫なものへと変化していきました。 これにより正座を苦痛に感じる人が増え、やわらかい坐具が好まれるようになったのです。 そこで登場したのが真綿(絹)の入った座布団です。 またちょうど同じ頃、木綿の栽培が盛んとなったため、真綿よりも安価で手に入る木綿を中綿とした座布団が出回るようになりました。 いずれも形は茵の名残もあって、周囲に縁のある正方形をしており、おおよそ方4尺5寸(※1.3平方メートル)程度の大きさでした。
江戸中期頃の風俗画を見ると、座布団に座っている人たちの姿が多く描かれており、この頃すでに町人の間にも座布団を使う風習が広まっていたことが分かります。 また日本初の百科事典『和漢三才図会』にも、「近頃座布団というもの軽き人々にまで用ゆ」と記されており、この時代の人気アイテムだったことが伺えます。
江戸などの都会だけでなく、地方などにも座布団が普及するようになったは開国後、明治時代に入ってからのこと。 殖産興業を国策とした政府が生糸や綿花の輸入を奨励し、繊維業が盛んになった時代です。 一般の家庭ではわた屋から綿を購入し、はぎれや古着などを再利用して、自分で座布団を仕立てていました。学校でも女子の裁縫教育に力を入れていたこともあり、座布団づくりは針仕事の一つだったようです。